手段を目的にしない

2022/02/22 (火)

当然ながら,何かの「目的」を果たすために「手段」があるのですが,いつの間にかその手段が目的にすり替わっていることがあります.
たとえば,元旦にはこれから始まる1年の幸せを願うわけですが,そのための手段である「初詣」がいつのまにか目的になってしまい,境内に並ばなくては幸せになれないような気分になりがちです.
また,マスクを外した会話を減らすために「会食は4人まで」という手段を決めると,それがまた目的にすり替わって「4人までなら食べながらしゃべっても大丈夫」のような誤解に陥りそうになります.
まさかそんなこと,と思うような「手段の目的化」が結構身の回りに起こっていますので,時々冷静に見直してみる必要があると感じています(倒幕を含む多くの”クーデター”も,いい世の中を作ることが目的なのに,いつの間にか権力者を倒す手段が目的化していたのではないかと疑っています)

身近なところでは血圧の管理も同じような一面があります.
心臓や血管に負担がかかると病気が悪化しやすいので,それを防ぐ手段として血圧が上がらないように治療します.
ところがいつの間にか「血圧を上げない」ことが目的になって,朝起きたときや緊張した時の自然な血圧上昇まで目の敵になってしまうことがあります.
目的は「健康の維持」ですから,塩分の調節や薬の服用で「安静な時まで血圧が高いような状態は避ける」ということを手段としてきちんと活用できれば,目的を見失わずに済むように思っています.

ところで,敢えて「手段を目的にしてしまう」という戦略が有効な時もあります.
それはまた次回のノートで…