Yes・No

2023/02/23 (木)

床屋でシャンプーしてもらってる時に,こう聞かれることがありますよね.
「かゆいところありませんか?」
そんなとき私は,何となく照れくさくてすぐに「はい」って答えちゃいます.
でももし「いいえ」って答えても,ひょっとしたら「かゆいところはない」って思われちゃうんじゃないかなって気がしています.

これが「ありますか?」っていう肯定文の質問なら,「はい」か「いいえ」でも意図がはっきり伝わるでしょう.
ところが「ありませんか?」みたいな否定形に「はい」か「いいえ」の答えだけだと,逆の意味に誤解されちゃうかもしれません.
その点,英語はスッキリしてます.
相手の否定文に同意するとき,答えは「Yes」ではなく「No!」です.
アメリカに留学したときすごくびっくりしたのですが,手術中に「この神経を切っては行けないよ」と説明する指導医に,見ていた研修医達が口をそろえて発した言葉は「ノー」でした…

これにはきっと人種的な心情の違いも関係するんじゃないかと思ってます.
荒野で狩猟を競ってきた英語圏では,肯定するならYes,否定ならNoとはっきり自己主張することが大事だったのかもしれません.
一方,稲作で協力してきた日本人は「世間」に合わせる気持ちを優先しますから,相手に同意なら「はい」,否定なら「いいえ」と他人本位で答えるシステムをはぐくんだのではないでしょうか.
主語のあとすぐ肯定か否定かわかる英語と,文末までどちらかわからない日本語の違いも,きっと同じような心情の違いが文法に影響したのではないかと推測しています.

そんなわけで「はい」と「いいえ」だけだと答えが曖昧になってしまうこ日本語ですが,相手に寄り添う気持ちを表現するには便利な言語ですから,医療の現場にも適していると思ってます.
だいたい「No」の方が母音数が少なくて「Yes」より言いやすい英語より,「はい」のほうが「いいえ」より字数が少ない日本語の方が思いやりがあって素晴らしいのでは?,って勝手に信じています…

追記:
私が「青春時代にもっとも聞き込んだ曲トップ3」の一つはオフオースの「Yes・No」でした.
「Yes」なのか「No」なのか,揺れる恋心にこの二つの言葉が演じる役割はとっても大きいですよね(笑).